『三国志名所』襄陽城と長坂坡の戦い古戦場を歩く

今回の三国志めぐりは、襄陽市にある襄陽城、湖北省荊州市にある長坂坡の戦いの

場所をお伝えしたいと思います。

 

襄陽城

 

襄陽城は湖北省襄陽市に位置しています。

2010年12月までこの地は「襄樊市」と漢字で書かれていました。

「襄樊」の名は、樊城、襄陽の2つの地名を掛け合わせて名づけられました。

東西に横切る形で漢水(長江の支流)が流れ、漢水を挟んで北に樊城、南に

襄陽城が建っています。

樊城・襄陽城は中国の中心に位置し、戦略上のみならず、商業的にも非常に重要な

拠点であり、誰もが欲しがった場所です。

そのため、曹操もこの地に曹仁という頼れる配下を配置していますし、周瑜も襄陽を

落とそうと赤壁の戦い後この地で戦いを繰り広げました。

 

ここ襄陽は、三国志好きにはたまらない場所なのです。

 

襄陽の戦い

 

この地で起こった戦の1つに、襄陽の戦いがあります。

後漢末期、191年に劉表と孫堅(孫権の父)との間で行われた戦いです。

孫堅軍は初めは優勢だったものの、孫堅は、黄祖の部下が放ったやに当たり

討ち死にします。この結果、戦を有利に進めていた孫堅軍でしたが、士気が下がり、撤退せざるをえませんでした。

 

この戦いの後、孫堅軍の残党は袁術配下となります。

 

樊城の戦い

 

樊城の戦いは蜀将関羽、関平、廖化と魏将曹仁、于禁、徐晃、龐徳、また、呉将呂蒙、陸遜、潘璋、馬忠等が参加した戦いです。

魏、呉、蜀全ての国が参加した戦いです。

関羽は、長雨で氾濫した漢水をうまく利用し、孤立した于禁を降伏させ、

龐徳を討ち取るなど有利に戦を進めました。

関羽は樊城を落とす寸前までいきましたが、司馬懿の策にのった孫権軍が関羽軍の

背後を狙い撤退。関羽は魏軍、呉軍に挟まれる状態となります。

これ以上荊州を維持できないと悟った関羽は益州へ撤退しようとしますが、

孫権軍に退路を断たれ、生け捕りにされ、殺されてしまいます。

 

このように襄陽市には三国志にまつわるものがたくさんあります。

関羽がこの地で戦ったって思うとすごくワクワクしますよね。

 

臨漢門

 

襄陽城を囲む城壁の1つである臨漢門です。

現在の城壁は残念ながら三国時代のものではなく、明代に作られたものです。

こちらの門がメインの観光スポットです。

 

城壁は上ることができ、仕様は荊州城と似ていますね。

城壁はとても整備さえれており、歩きやすいです。

 

 

目の前には漢水が流れています。周りに高層ビル等

視界を遮るものが何もないので、襄陽の街を一望できます。

この川の水を利用し関羽は樊城の敵と戦いました。

荊州城のように、城は平地で川の近くに建てていますね。

 

城壁の内側です。

景観維持のためか、似たような建物が多いですね。

門を通り抜けるとまっすぐな道があり、城へと続いています。

今の時代、城壁の中に街並みが残っているのってすごく珍しいです。

日本ではあまり見かけないですよね。

城下町の面影が少し残っている程度です。

襄陽城内で、普通の生活を送っている方もいるみたいです。

なんか羨ましい・・・

 

入場料はなんと5元=約85円

とてもコスパがいいので三国志好きな方はぜひ訪れてみてください!

長坂坡の戦い古戦場

 

長坂の戦いってすごく夢がある戦いだと思うのです。

張飛が一喝したことにより、曹操軍の大軍を怯えあがらせたり、趙雲が魏の将を

ばっさばっさ切り、劉備の子である阿斗を救出したり、と。

でも、長坂の戦いってどんな戦いかみなさんご存知ですか?

 

長坂坡の戦いとは

 

劉表死後、家督を継いだ劉琮は曹操に降伏してしまったため、劉表の客将として

新野、樊城の守りについていた劉備は、ここを離れるか、劉琮を討つかの選択肢しか

ありませんでした。もちろん曹操に降伏するわけにはいきませんからね。

諸葛亮は劉琮を討てば、荊州を支配できると劉備に進言しますが、劉備はこれを却下します。

そのため、新野、樊城を捨て、南へと落ち延びていきます。

しかし、劉備を慕っていた、数十万の荊州の民が劉備に付き従っていたため、

1日に数十里しか進むことができませんでした。

曹操は、劉備が物資が豊富にある、江陵を占拠することを恐れ、

5000の騎兵を引き連れ直接劉備を討伐しに行きます。

曹操は、昼夜兼行で劉備一行を追いかけました。

曹操が追いついたのがこの地、当用の長坂です。

戦いといっても劉備軍は数百の兵と数十万の民しかいません。到底曹操軍にかなうはずもなく、

劉備は、妻子を捨て、たった数十騎で敗走します。

そのため、趙雲は死に物狂いで妻子を探しだし、劉備の息子の阿斗を救出することに

成功しました。

張飛は、20騎ほど引き連れ、殿を務めました。

張飛は橋を落とし、劉備を追う曹操軍に一喝「ここで俺と一緒に死にたい奴はかかってこい!!」と

曹操軍は震え上がり、追うものはいなかったといいます。

 

現在の長坂坡

 

長坂坡の戦い古戦場付近にある趙雲像。

ロータリーのど真ん中に建てられてます。

躍動感あふれる威厳のある像ですね。

 

現在は長坂坡公園として、誰でも気軽に訪れることができるようになっています。

趙雲の活躍を称える石碑

周りを敵に囲まれた状態でも単騎で戦う趙雲の姿

「単騎救主」の文字が。劉備の息子の阿斗と劉備の妻を救うため

趙雲は単騎、敵軍に突っ込んでいきました。

 

 

 

単騎で鬼神のような戦いをする趙雲を曹操が見惚れている絵です。

こちらも趙雲の活躍が絵が画れています。

趙雲が糜 夫人(びふじん)から劉備の息子阿斗を託されるシーンです。

自らが足手まといになることを恐れ、阿斗を趙雲に託したあと、自ら井戸に飛びこみ

命を絶ちました。

無料とは思えないほど施設は整備されており、公園内も

充実していました。

何度も言いますが無料です。

 

おわりに

 

いかがでしたでしょうか。

襄陽は三国志でも重要な場所であり、歴史があふれています。

長坂坡の戦い古戦場も趙雲の勇姿をご覧いただけます。

長坂坡の戦い古戦場は関陵から車で10分程度ととても近いため、

どちらかにいたったら、ぜひ訪れてみてください!

 

 

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